トピックス-Topics-

2020/08/30
藝文對談ともえ:第百六十四回:伝統文化と時代の乖離 を公開
アトリエイーストで和歌の話をしている二人。伝統文化と現代の乖離について話をしている。伝統という型を踏襲せずに、もっともらしい型っぽいものに、現代を注いでいることに根本的な間違いがあると。センセイは改めて伝統の大切さを述べる。動が揉まれて精度を増し結果的に静になる。それが型である。それが多年の月日を折り重ね伝統の型になる。それを右から左にやると古臭くなるのは当然。型を踏襲しながら現代を注ぐことが伝統文化の営みである。その為には型を入れることから始める必要がある。(2018年収録)

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2020/08/20
藝文對談ともえ:第百六十三回:音楽にみる純粋表現 を公開
機会を得られて吹奏楽を堪能したというマッチャン。吹くという動作から奏でる音は奏者も聴者にも何とも言えない快感性があると。センセイはそれだけ吹奏楽は生っぽいんだろうと。ストラヴィンスキーの前と後では音楽における価値観は変わったとセンセイ。基礎は基礎、規律は規律として捉えながらも、自らの求めに応じ禁を侵さざる負えない中で進んでいく純粋感情は大切にしないといけないと語る。ストラヴィンスキーもその結果であると。純粋表現と経過の尊さについて語り合った。(2018年収録)

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2020/08/10
藝文對談ともえ:第百六十二回:君江さんとのこと壱 を公開
話者:松里鳳煌

「夏の思い出」という歌がある。ひと夏に冒頭部分だけが何百回となくアンコールされる。歌い手は母だ。子供の頃、コーラスに入れ込んでいた母が料理をしながら練習がてら歌っていた歌。外は晴天、テレビからは甲子園が流れ、扇風機がゆらゆらと動く。台所から母が料理をする音と歌声。そして思い出すのは戦争の残響に石丸茹園先生のこと。彼女は2001年8月10日52歳で亡くなった。師の奥様で、書家だった。私が彼女の年齢を迎えた年、師が不意に「そう言えばマッチャン、君江さんの歳だね」と笑顔で言ったことが思い出される。今回は彼女のことを語りたい。

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2020/07/30
藝文對談ともえ:第百六十一回:日本の労働環境 を公開
今回は2本立て。編集はしたものの、短すぎて1本には纏められずお蔵入りした音源と来場者特典として限定公開していたもの。

第百六十一回:日本の労働環境
【蔵出し】話者:野尻泰煌(センセイ)、松里鳳煌(マッチャン)
 日本の労働環境について話している二人。主に雇う側の立場になって語りかけるセンセイと、双方の立場と客観的情報と照らし合わせながら日本の会社事情を語るマッチャン。センセイは豊かさが失われ、切羽詰まった中で生きてきた結果だろうと語る。(2018年収録)

番外編:お子様ランチ
【蔵出し】話者:野尻泰煌(センセイ)、松里鳳煌(マッチャン)、天外黙彊(トッチャン)
 2018年に開催された 第二回藝文東京ビエンナーレ の来場者特典として用意した「お子様ランチ」のロングバージョン。野尻先生が「ホットケーキ」や「お子様ランチ」の思い出を語る番外編。(2017年収録)

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2020/07/20
藝文對談ともえ:第百六十回:学校教育と音楽 を公開
【蔵出し】話者:野尻泰煌(センセイ)、松里鳳煌(マッチャン)

学校の選択科目において「書道は無いよなあ」と言われたとことがあるとマッチャン。その一言で色々垣間見えてくる。選択科目で書道を選ぶ人の少なからずは「楽だから」という人が多かったが、これは意外にも的を射たものであるとも言え、音楽の授業にしても、もっと幅の広い、強制力の低い方が多くの才能を育むのではないかという話に。(2018年収録)

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2020/07/10
藝文對談ともえ:第百五十九回:先生の手帳・九 を公開
話者:松里鳳煌

野尻先生と初めて一緒に行った映画。それが前回ご紹介のゴジラシリーズ第24作「ゴジラ☓メガギラス G消滅作戦」でした。有楽町マリオンで初日に観ました。お互い黒いスーツを着て颯爽とIN(笑)。劇場は想像を超えたガラガラぶりで、先生は「我々専用の映画館みたいで気持ちいいねぇ」と第一声。予約した席に座ろうとすると、自分たちの一列前に絵に描いたよなファンの青年男性が二人。私らを見るなりギョッとし座った後でコソリと「後ろの席、俺達より凄いのがいるよ」と。正装でゴジラ鑑賞と捉えたようです。そういう意味では無いのですが(笑)。野尻泰煌ほどの人物が何故ゴジラなのか? 私が先生に強い興味を抱いた一つのきっかけになりました。※訂正:放送中の発言「ア◯ムの人」ではなく「プ◯ミスの人」です。

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2020/06/30
藝文對談ともえ:第百五十八回:映画ゴジラ×メガギラスG消滅作戦 を公開
話者:松里鳳煌

ゴジラシリーズ第24作「ゴジラ×メガギラス G消滅作戦」今回はその視聴感想回。2000年公開の映画で平成ゴジラシリーズで唯一映画館で見た作品。有楽町マリオンで観ました。先生との思い出や雑多な感想は次回へ送り、純粋に映画の感想回です。当時は「相変わらず子供だまし。寧ろ子供すら騙せない映画」という印象でしたが、丸20年振りに見てどう感想が変わったか。

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2020/06/20
藝文對談ともえ:第百五十七回:野尻家の先祖 を公開
【蔵出し】話者:野尻泰煌(センセイ)、松里鳳煌(マッチャン)

アポロ13号の搭乗員に限らず、ある日突然それまでの累積が無に帰するほどの社会変化が時代の変わり目には起きてきた。(現に今こうして新型コロナウィルスによって強制的に変化が発生している)センセイは自身の先祖である旗本だった野尻家を振り返り、明治維新で武家が俸禄を貰えなくなり、生き方の改革を余儀なくされた事実を語る。時代を読めた多くの武士は刀を捨て現状の変化に対応すべく動いていったが、地方の武士や、一部の武士達は現実を受け入れられず抵抗を示したという。しかし結果は明らかだ。センセイは結果を招く前のお膳立てが今の人は出来ていないと語る。そして結果さえ得られればいいという甘さがあると語る。(2018年収録)

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2020/06/10
藝文對談ともえ:第百五十六回:直感力と鮮度 を公開
【蔵出し】話者:野尻泰煌(センセイ)、松里鳳煌(マッチャン)

忘れる技術は身につけた方がいいし過去は基本忘れた方がいい。センセイは「考える」ということは道具箱を探るようなものだと語る。そこは観念の坩堝で過去のモデルに人間だれしも囚われるアキレスポイントであると。「前はこうだったでしょ」というのは当時のあらゆる条件があってのことであり、現実は微細に変化しており過去の現象をそっくりそのまま当てはめるのは勘違いを生む。マッチャンはモデルは大事だが囚われるのが問題であると応える。当てはまらない部分を人は無視しがちであり、当てはまらない部分に目をむける必要性があると言う。映画アポロ13でも今あるものを再検討し難を逃れた抄写がある。理想モデル、現実、それら折衷案し再構成が大切と。考えるほど運を逃すとセンセイ。鮮度の大切さを実感するとマッチャン。(2018年収録)

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2020/05/30
藝文對談ともえ:第百五十五回:映画アポロ13 を公開
【蔵出し】話者:野尻泰煌(センセイ)、松里鳳煌(マッチャン)

3度目の有人飛行であったアポロ13号の実話をモデルにした映画「アポロ13」について語り出すマッチャン。センセイは観たことが無いと言うが、マッチャンにとってはお気に入りの1本。不吉とされる数での事故。大衆の失われた興味に対し事故で盛り上がる世間。焦がれて選ばれたにも関わらず急遽地上勤務を言い渡される飛行士。近視眼的に見た間違いが回り回って解決へ導かれること等がとても面白い。センセイは「人生においては帳尻を合ってくる」という。多くの人々は一喜一憂しながら足元だけ見て歩むが、冷静に俯瞰していくと、人にはそれぞれ役目があると思うと。自分で思い込まない方がいいと語る。(2018年収録)

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