トピックス-topics-

2017/10/10
藝文對談ともえ:第六十五回:活動の脈絡 を公開
話者:センセイ、マッサン

日本において文化、芸術活動に携わる者は高慢になりがちで、一般ではそれが理由もあり疎遠になりがちな面がある。ハンガリー展での様子を見て、日本人にとって文化が遊離してしまった現実に気付かされたとマッサン。センセイはハンガリーの人は板についていと応える。意識的に考えて行動しがちな現代において、センセイは改めて実感したこととして「地に足がついた着実な活動」だと語る。頭で考えた行動は、縁が無い、脈絡がない、その場凌ぎの活動になり結局は途絶えてしまう。本来活動というのは地道なもので、自らの足元にあるものを活かした中での動きだと自らの考えを述べる。

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2017/09/30
藝文對談ともえ:第六十四回:ハンガリー訪問記 を公開
話者:センセイ、マッサン

2017年4月、センセイが代表を務める泰永会の海外展が初めて開催された。主催、運営はハンガリーのハンガリー・日本友好協会、ケチュメート・青森友好協会の協力を得て由緒正しいラダイ博物館にて一ヶ月の開催という幸運を得る。「ここまでして頂いて行かざるは恥」と、第二十八回泰永書展ケチケメート市〜プレゼンス〜 のレセプションに向け弟子七名を連れてハンガリーへと渡ることになった。氏にとっての初めての海外は波乱のスタートとなる。1時間の遅延によりトランジットで乗り換えの飛行機が出てしまう。代わりに用意された便はローマ経由の遠回り。その上で荷物が届いてないと告げられる。英語に堪能な弟子数名が交渉するも・・・果たして旅の顛末は。

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2017/09/20
藝文對談ともえ:第六十三回:文章表現 を公開
話者:センセイ、マッサン、トッチャン

センセイは前回に引き続き文章表現について二人に尋ねる。主人公が出てきて語り言葉で書く人がいるけど、あれは「ありなの?」と。マッサンは「両方ありなんだろうけど、理想とする点に関しては出来るだけ無く、凝縮した詩のような表現だろうと思っている」と応え、その理由について「言葉で羅列しても結局は受信者側の能力に委ねられている。ということは言葉が多すぎると読み取れない人の方が多くなる。出来るだけ短い言葉で凝縮された文が理想と今は感じられる」と言う。センセイはそれを聞いて「書き直さないといけない」応える。自ら執筆中の「ポプラの丘」について、そこが気になっていたと。センセイは自ら叙事詩を執筆する中で花鳥風月を書いている時は詩になるけど人間が出てくると詩にならなくなると気づいたと言う。マッサンは強く納得し、人が出ても生っぽくなるのを避けるにはと語りだし、トッチャンも様々な表現者達の方法に触れ、センセイも呼応していく。

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2017/09/17
本名カズト: “New Album” 制作プロジェクト
本名カズト はクラウドファンディングを利用したアルバム制作のプロジェクトを自らのfacebookで発表した。

これまでアルバムを聞いていた方は参加すると様々な特典が得られるためプランを選ぶことをオススメしたい。オーソドックスな特典付CDの3,000円プラン、更にTシャツを付けた7,000円プラン、他にも曲にコーラスとして直接参加出来るプランやパーティーで歌唱してもらえるプラン他様々用意されている。

「どういう歌を唄う人?」という方は プロジェクトサイト に代表曲があるので聞いてみてはどうだろうか。古き良きアメリカン・ミュージックをこよなく愛する彼の歌は、今の日本人も忘れかけている様々な思いを呼び起こすかもしれない。

受付開始:2017/9/20we 20:00〜
プロジェクトサイト:https://goo.gl/J1XmzL

本名カズト からのテキストメッセージと音声メッセージを掲載。
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FaceBook等でお知らせしていましたクラウドファンディングのサイトが9月20日(水)20:00からスタートします!!

『本名カズト”New Album”制作プロジェクト!!』と銘打ち、キャンペーン期間は9月20日(水)20:00〜11月5日(日)23:59となり、様々なプランを作りました。キャンペーンに先立ちましてこちらのプロジェクトサイト https://goo.gl/J1XmzL でプランの内容を閲覧できますので、興味のある方は是非ご覧下さい。
気に入ったプランが見つかりプロジェクトに参加したいという方は、ログインするためのアカウントを制作してお待ち下さい(サイト内の”LikeShareアカウントを作成”をクリック)。アカウントが取得され次第、公開日の9月20日から購入可能となります。そちらではメッセージも自由に書き込めるようになっていますので、ご意見ご要望どんどんお聞かせ下さい。
また、キャンペーン期間中はライブ会場でも申込用紙を配布いたしますので、そちらをご利用の上直接ご購入にもなれます。
参加したいけれどいまいちシステムが分からないという方は僕のFBのメッセンジャーにご連絡下さい。懇切丁寧にご説明致します(^^)v
僕自身初めての体験なのでワクワクしています。一緒にご機嫌なアルバムを作りましょう!!

by 本名カズト

2017/09/10
藝文對談ともえ:第六十二回:メロスと太宰 を公開

話者:センセイ、マッサン、トッチャン

「人は棺をまとってみるまでわからない」というセンセイの話を引用するマッサンの話から始まる。小説の巻末にあるように「走れメロス」はシラーの詩から発想したという部分があり、そこに当時の太宰治の環境や心理状態から結果的に仕上がった作品と伺える。センセイは「人間仕事だから駄作もあれば良いものもあるし、でも、トータルでみるものだから」と言う。更に「人はやってきたことしか出ないから」と太宰治の人間仕事を語る。マッサンは「気になったものがあれば、やった方がいい」と自らを振り返る。トッチャンは、太宰の文章は独特なテンポがあり読むとそれが抜けづらいと聞くと語る。センセイはそこから文章表現における自己体験を語る。

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2017/08/30
藝文對談ともえ:第六十一回:走れメロス を公開
話者:センセイ、マッサン、トッチャン

太宰治の名作「走れメロス」の読後感想会をトッチャンと行う。センセイは横になりながら二人の会話を聞く。互いに第一印象から。共通点として授業で読んだ時とは印象がかなり違うこと。トッチャンは強い印象を残し「人間失格」を手にした後から本格的に太宰治に惹かれていったと振り返る。マッサンは「走れメロス」を長い間「人間失格」の太宰治とは別人だと思っていたことを思い語る。センセイは「どういう物語?」と問い、トッチャンが語る。センセイは実話である「マラトンの戦い」を上げ、三人は過去の思い出を絡めながら感想を述べ合う。

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2017/08/20
藝文對談ともえ:第六十回:思考と嗜好 を公開

話者:センセイ、マッサン、トッチャン

本質的には人はわかり合えないものだということが感じられたと語るマッサン。それは己すら、自意識で仕上がった嗜好と、自らの肉体が発起する嗜好、持っているモチモノ、これらは人によってマチマチな現実がある。センセイは、指導者というのは、体質を見て、性質を把握し、言いたいことを理解出来る範疇に絞り、その上で道を示せるようじゃないと務まらないと応える。本質的には肉体が発起するものが自分に向いているが故に続き、伸びるが、意識によって出来た趣味嗜好も無駄ではなく、フィードバックすることで創作の幅や変化に繋がると。話はセンセイが挿絵を描くことの経緯に展開し、転がっていく。

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2017/08/10
藝文對談ともえ:第五十九回:活字と文化 を公開
話者:センセイ、マッサン

書はおろか、手書きそのものが限りなく扱われなくなった現代。目にする文字は活字であるフォントで締められる。そのフォントがどういう趣で設計されているかという話をしだすマッサン。識字性に傾倒しており、文字構造に美を欠いている現状を語る。嘗ては文字構造ありきから識字性へと移行する過程があり、文字の美しさを維持しつつ識字性を高める為の省略等はされたが、今は構造より識字に傾いているのがフォントや活版印刷はおろか看板やテロップ津々浦々に至るまで氾濫していくことに懸念を表する。センセイは手書きのレベルはあるものの、味わいが無くなったと語り、活字から見られる文化の話におよぶ。

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2017/07/30
藝文對談ともえ:第五十八回:躍動する社会とは を公開
話者:センセイ、マッサン

コンプライアンス(法令遵守)という考え方が導入され逆に無責任社会へと急速に転換を遂げているという話から入る。役所の申し子のような仕事を表現者も求められる時代になったとマッサン。センセイはそういうことを小器用に出来る人がいい作品が生み出せるわけがないと視点を投げかける。国会図書館での自らの体験を語り、現代を「役所社会」と例える。マッサンは自己責任の明確化を追求する余り責任回避の構造がこうした社会を形成したんではなかろうと語り、鬩ぎ合いの結果として書類が増えて本来の仕事が儘ならない現状が日本社会を覆っていると語る。それでは国が滅びるとセンセイは憂う。書類やデータの分野では急速に進化するAIに期待するとマッサン、全部自動でやってくれる時代になれば本来やるべき仕事に取り掛かれるようになるのではと。そして人が躍動していた社会の頃を回想する。

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2017/07/20
藝文對談ともえ:第五十七回:詩と思想感情 を公開
話者:センセイ、マッサン

マッサンが井上ひさし氏の言葉を先生に尋ねることから始まる。センセイは「血肉になっているか」という視点でその文言を紐解く。そこから書をやるに当たって尋ねられる問で応える。文筆であれ詩であれ、血肉になった部分で書くのと頭で書くのでは違うと言う。手につかなければ身にもつかない。マッサンは誰しも詩情を会得することが出来るのだろうか?と問い、センセイは感動すればいいんだと。どんな些細なことでも他人からくだらなく思えようと感動の要因を育めば自ずと湧き出るものがあると。マッサンは才能の高に触れ、センセイは自分がどれだけ遊んできたか、遊ばせてもらってきたかで差は出るが、机上の学問じゃなくこの肉体を通した否かだろうと述べる。マッサンはラジオから聞こえてきた日本人奏者のジャズの話を上げ更に話は続く。

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2017/07/14
yataiki.netのSSL接続対応
yataiki.net を主たるサーバーにするサイト(サブドメインを含む)を全てSSL接続対応にいたしました。これまでの http:// を暗号化接続を意味する https:// に変えるだけで、これまで通りの内容でSSL接続が可能とります。例えば、

通常接続 http://○○○.yataiki.net
SSL接続 https://○○○.yataiki.net

とすることで端末とサーバーのデータ通信が暗号化された接続が可能になります。これまではログインをする必要があるサイト、主にショッピングサイト、他には会員制サイトで多く利用されてきた機能ですが、昨年よりGoogleのブラウザ、Chrome等は一般のサイトでもSSL接続を推奨しており、より安全にインターネットを利用する場合に有効とされています。

公衆無線LANやフリーWi-Fi、ローカルエリアネットワーク上にある端末等からインターネットに接続する際に特に有効と思われます。必要に応じてご利用下さい。

暗号化接続でも特に接続速度が遅くなることはありませんが、SSLに対応していないサービスや、SSLページと通常ページが混在する場合、SSLページのみが表示され、通常ページは表示されません。ご留意下さい。
2017/07/10
藝文對談ともえ:第五十六回:展示側と観者 を公開
話者:センセイ、マッサン

昨年ポルトガルであった観者が自撮りをしようとしてミカエル象を倒してしまった件に触れる。マッサンは人間がすっかり変わって来ていると感じると話す。日本においてはほとんどの美術館や博物館では撮影やスケッチ、メモが禁止されている。自らの体験としてメモをとっていたら注意をされた件を上げ、日本における観者と展示側のあり方を上げる。西洋では多くの作物が直に見られるメリットは大きい。ただし日本の厳重な展示方法は作物の保全にはいい。一方で観者も平気で注意書きを無視したり我欲で行動する人が増えてきた気がすると語る。そうした話しから作品との距離感へと及ぶ。

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2017/06/30
藝文對談ともえ:第五十五回:篆刻とその周辺 を公開

話者:センセイ、マッサン

引き続き出先で篆刻の話。センセイが主宰し、マッサンも所属する泰永会での書展。泰永書展で来場者の書家から言われた感想をマッサンが言う。篆刻が書に合っていて素晴らしいというもの。そこで、書と遊離する篆刻と書作品に問題は潜在的に多くの書家が抱えていると知る。「印は教養がでる」とセンセイ。勉強しました、頑張って掘りましたという印はそれだけのものである。書にせよ、篆刻にせよ、茶碗にせよ、余裕の中で営んで仕上げたものでこそ鑑賞出来るものであって、必死にやって頑張りましたというものを見せられては百年の恋も覚めると。書はそもそも文があって字があるのであって、余力の部分でやってこそと語る。そこから箱書きの話に移り、作品と篆刻に纏わる関係性の話に展開していく。

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2017/06/20
鳳煌会のサイトを新設
松里鳳煌が主宰する書道会。鳳煌書道会(書道・鳳煌会)のサイトを新設しました。

今後、散らばっているサイトを整理・統合していき、新しい記事はこのサイトにて行っていく予定。
現在中心となっているBloggerの鳳煌会はサイト不具合時の避難場所として残していく。

http://hoko-kai.yataiki.net
2017/06/20
藝文對談ともえ:第五十四回:篆刻と脈絡 を公開
話者:センセイ、マッサン

出先での収録。書作品にとって篆刻というのは作品と一体化している。にも関わらず、篆刻家が篆刻を作るという分業化がなされている点についてマッサンが話を始める。篆刻家の篆刻を見て、作品単体として見ると素晴らしいものだが、自作に押すことを想起するとどうしても作品と遊離してしまうと感想を投げる。絵画におけるサインは自分でなされる。ところが、サインの一つに相当する篆刻は篆刻家から購入し押印することになる。篆刻を十代の頃より自作していたセンセイに、自作と篆刻の関係について話を聞く。

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2017/06/10
藝文對談ともえ:第五十三回:不気味の谷 を公開
話者:センセイ、マッサン

カルフォルニア大学で”不気味の谷”の存在が確認されたというニュースを話すマッサン。昨今のCG技術の発達。そこへ来てAIの急速な進歩。”不気味の谷”というのは人間に必要な防衛本能という視点から、その本能を超える。マッサンはそのようなリアルな作物とどう向き合えばいいか投げかける。センセイは谷を超えることそのものは、人の防衛本能を越え快感性を与えるということだから、それそのものはむしろプラスであり、不気味の谷に落ち込んでいる状態の方が人間にとっては良くないだろうと応える。マッサンはこうした技術が社会に浸透しても人間の仕事そのものは増えることはあっても減ることは無いにせよ、人間ならではの活躍してきた場所が減ることを危惧していると語る。それに対して、センセイは書家としての目線で書作品に例え、その解決策を発想していく。

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2017/05/30
藝文對談ともえ:第五十二回:書作品とその周辺 を公開
話者:センセイ、マッサン

出先の会場で収録。マッサンがLEDの登場により目が非常に疲れ安くなったと話し出す。そこからLEDに限らずCGを使った映画や看板広告等がすべからく共通点として「自己主張が激しすぎる」と。目の肉体機能から考えて眼精疲労が累積的かつ加速度的に増大している社会を語る。そこから書作品の鑑賞方法へと話しが移る。持論である「部分は全体を越えられない」が関わってくる。作品は全体感で決まるという。全体を見て、細部を見るもの。全体が崩れていれば細部がどれほど緻密でも覆られない。大作の場合、全てが克明に描かれた作品は鑑賞者側に圧が強すぎて全体感を損なうことを考慮にいれる必要がある。量感が強いのであれば細部は寧ろ疎にして全体感を伝わるようにする等の表現技法の話しに。そこから書作品と作品表現の話しに深まっていく。

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2017/05/20
藝文對談ともえ:第五十一回:書 を公開
話者:センセイ、マッサン

2017/5/20sa:書き始める動機は単に「似せて楽しい」といった部分から始まるもので構わない。現代人は「読める読めない」「意味がわかるわからない」で手が止まることを指摘し、その本末転倒さを言う。漢字が読めなくて気になる人は自分で漢和辞典を調べ、自得すればいい。やっているうちに人はどうあれ次第に気になるもの。その時点でやればいいと。本来は行為が先にあり「この差はなんだろう」と疑問に移り変わるのに、今は行為の前に知識を入れようとする。センセイは「小さな疑問の積み重ねで教養というのは出来るのに、今の教育は一纏めにして教え込んでしまうから逆に小さな変化への気付きや疑問は失われ、それはつまり教養がない人間を排出する」と指摘。マッサンは現代は何でも類型化しており豊かさが無くなったと応える。小さな疑問の積み重ねは教えられるものではなく、自ら体験し、感じてこそ湧き上がるものであるとセンセイは述べ、更に書の話しが続く。

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2017/05/10
藝文對談ともえ:第五十回:世にも不思議な話 を公開
話者:センセイ、マッサン、トッチャン

2017/5/10we:妖怪と現実との虚ろな関係を話しているうちに、センセイが「そっちのことなら幾らでも言えることがある」と実際に体感した奇妙な経験を語り出す。そこは仕事で訪れた古いマンション。恐らく戦後すぐ建てられたような佇まい。今とは異なる構造。マンションの中央に入る引き戸がある。センセイの体験から、現代は科学偏重主義になり過ぎて未科学(科学でまだ解明されていない部分)の存在を無いかのように疎かにしている問題点を指摘。(センセイは最終的には科学で全て解明されるのだろうが今はその兆しすら見えない科学レベルと捉える)マッサンは妖怪とはまさに日本における理解不能な事象や、受け入れがたい現実を「妖怪」に置き換えることで「先へ進む」手助けにしたのだろうと締めくくる。

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2017/04/30
藝文對談ともえ:第四十九回:妖怪と日本人 を公開
話者:センセイ、マッサン、トッチャン

2017/4/30su:一連の妖怪作品の話を踏まえ、マッサンが昨年八月に開催された「大妖怪展」の感想を語っている。本展では妖怪が出て来る美術作品が全国から集められ一堂に会したもの。江戸東京博物館で開催された。過去から現代まで時系列に並べられた作品を見て、次第に確固たる存在となっていく妖怪という存在に、一つの型が生み出される創造の過程が見れたと語る。そこから嘗ては妖怪が日本の文化に強く根を下ろし、小さな地域社会の安寧や隠れたる人心の後ろ支えになっていたのではないかと持論を述べる。更に宗教における異形の存在、化物へと話が膨らみ、日本人の精神性を垣間見る話になっていく。

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2017/04/20
藝文對談ともえ:第四十八回:創作の格闘 を公開
話者:センセイ、マッサン、トッチャン お客様:本名カズト(ミュージシャン)

2017/4/20th:引き続き本名さんとの話は続く。デジタルと創作活動について話題が出る。「デジタル仕事による創作活動には格闘の後が見えない」という本名さん。デジタルは道具として見た場合にとても便利である。しかし格闘の後が消えていく点でデジタルは便利さ以外の点で何か大切なものを失っているのではなかろうかと。デジタル要因が不要と言いたいわけではなく、アナログとデジタル双方をわかっている作家はデジタルで失われる部分を把握した上でバランスをとれるが、そもそもデジタル作業しか知らない作家は、その裏側の落とし穴に気づかないのではないかと投げかける。作品への取り組みにはいかに格闘するかが肝。センセイは書家ならいかに座って書いているかであり立ってちゃしょうがないと言う。そこから構えの部分で現代の創作活動にそれぞれの思いを吐露していく。

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2017/04/10
藝文對談ともえ:第四十七回:音楽体験の変化 を公開
話者:センセイ、マッサン、トッチャン お客様:本名カズト(ミュージシャン)

2017/4/10ma:ミュージシャンの本名カズトさんをほぼ一年ぶりにお出迎え。最初に得た感動の要因を人は忘れがちで、活動を続けていると得てして技術、技巧に囚われていき「感動要因」が蔑ろにされるという話から始まる。その結果として鑑賞者側は「面白くない=感動がない」と感じる。真に長けた人は、初期衝動が色褪せること無く同時に技術も身につけていくと。マッサンは書においても同じであると受ける。センセイの話を引用し、長けることは結果身につくもので、必要ではあるが、何よりも感動が無ければ表現する意味を失う。本名さんは、「それでも気づいている人はいい、そもそも気づいていない人が増えている」と懸念を表し、その理由は音楽に関して言えば浴びるように聞いた人が減っているからではと持論を述べる。そこから音楽体験の変化が見えてきた。

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2017/04/6
翠甫.net を運用開始
翠甫氏のホームページを設置、運用開始しました。
よろしくお願いいたします。
作品の紹介と活動を今後掲載してまいります。

翠甫.net
http://suiho.yataiki.net/
2017/03/30
藝文對談ともえ:第四十六回:音楽活動 を公開
2017/3/30th:知人の活動を拝聴する中でしみじみと音楽活動の大変さを感じたことからマッサンが口を開く。書は紙と墨、筆があればいつでも一人で出来る。しかも選び取った仕上がりを、それぞれの感覚で見てもらうだけで済む。それに対し、音楽は練習する場から考えなければならない。昔はあちこちでピアノを練習する音が聞こえていたが、昨今は騒音問題から自宅で練習することも儘ならない。その上でソロならともかくバンドなら音を合わせる練習も別にいる。ましてやオーケストラならその機会を得ることそのものが一苦労。演奏するとなると場所がいる上に本番が1度きり。挙句に観客の前で、その場限りの音楽表現。音楽は時間経過を含めた表現である為、聴取側も固定された時間が等しく必要になり、会場も聴者も色々。こうした音楽に関する活動の背景を思い、実際に作曲したこともあるセンセイに投げかけていく。

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2017/03/20
藝文對談ともえ:第四十五回:視点の相違 を公開
2017/3/20ma:「妖怪百物語」で「脇役の凄み」から話が盛り上がる。センセイは嘗て「好きの一心」で食える食えないを考えずに役者を目指した人がいた。だからこそ深みのある役者がいて脇役が厚く固めていたことを語る。マッサンは”水木しげる”の自伝から、昔は漫画が好きな同士が一杯いてワイワイやっていたけど、いつの間にか自分一人だけになっていた。あれは好きというパワーが弱かったんだろうと言ったことを思い出す。センセイはソレに対し「それも自然淘汰だから」と応える。昨今の「個性」の捉え方についてセンセイが言う。トッチャンはそれに対しマルクス主義にしても観念的理想理論から立ち上げたものの成功したと言える例を見ないと受ける。遺伝子の妙技の話になり、勘違いが必ずしも悪いことになるわけではない話へ移っていく。

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2017/03/10
藝文對談ともえ:第四十四回:妖怪百物語 を公開
2017/3/10fr:「妖怪大戦争」の収録以来、何かと話題に上がった「妖怪百物語」をやろうと今回の運びに。センセイは赤羽にあった大映の映画館で祖父母と共に当時観に行ったことを思い出しながら、トッチャンは知らない中で、マッサンは当時テレビで見て、今回三十年以上ぶりに観た上での鼎談となる。マッサンは物語の主題となった「百物語」を落語家の林家正蔵が語るシーンが子供心に映画の中で最も迫力があったことを思い出し、同時に大人になっても変わらない印象と語る。センセイは「名人芸だから」と応え、嘗ては脇が凄かったと言う。マッサンはこの映画の面白みとして、表側の真面目な時代劇に対して、あくまでふざけている妖怪達という対比にあると視点を持ち出す。

※妖怪百物語:1968年3月20日に公開。大映京都撮影所製作の時代劇・特撮映画。併映『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』。カラー、大映スコープ、79分。大映京都の妖怪映画3部作の一作目。1968年1月にゲゲゲの鬼太郎(白黒版)が放送開始され子供達の間で妖怪ブームがおき、結果的にその追い風も受け好評をえる。本作に取り上げられた「百物語」は、江戸時代の落語家である初代林家正蔵が盛んにしたもので、江戸の人々が行っていた怪談話の会をさす。劇中で初代林家正蔵の役を八代目林家正蔵(のちの林家彦六)が演じる。監督: 安田公義。(Wikipediaの情報を編集)

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2017/03/10
Jfonts協議会のホームページを閉鎖
TrueType協議会 を前身とするフォントの業界団体の一つ、二十年以上の歴史をもつ Jfonts協議会 のホームページを閉鎖するとの連絡を事務局担当会社より受ける。(現時点で閉鎖済)

Jfonts協議会 www.jfonts.or.jp

色々なことが思い出された。時の移ろいを感じる。
2017/02/28
藝文對談ともえ:放送:第四十三回:氏素性 を公開
2017/2/28tu:2回に渡ってトッチャンと対談した夏目漱石の「こころ」の感想をセンセイに伝えることから始まる。自らに無かった視点として「こころ」は個人主義を描いていると聞いていたく納得したと。センセイは「二人のとって個人主義とはどういう意味合いか?」と問う。二人はそれぞれの考えを言い、それに対してセンセイは「一見すると個人主義というのは個を尊重しているかのような感じがするけど・・・」と話しだす。自らの家系のことを例に考えを述べ、「果たして外国風の個人主義が日本の風土に合うのだろうか?」と再び二人に投げかける。マッサンはそれに対し、「自由とはなんだろうか」という角度でもって答え、センセイは自らの経験や考えを述べていく。

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2017/02/20
藝文對談ともえ:第四十二回:こころ/後編 を公開
マッサンとトッチャンによる、夏目漱石「こころ」の読後感想会後編。マッサンは人の こころ って本当に難しく最終的に人と人はわかり得ないのでは?と語ることから始まる。そして自分は作中の先生の心境がよくわかると言う。自己の過去を語リ、そこから自分なりの視点を詳らかにする。トッチャンは作中の先生が理解出来ないと投げかける。マッサンの話を聞き、夏目漱石の「こころ」が教科書に掲載されている理由がわかったと応える。ある解説から、恐らく「現代の個人主義」を学ぶために掲載されているのだと伝える。一方でトッチャンは読んでいて暗くなったから教科書への掲載はいかがなものかと私見を述べる。マッサンは自身のセンセイから言われた話を引用し自己の体験を踏まえ自分なりに紐解いていく。

※「青空文庫」は著作権の切れた本を無料で貸し出せるようにしもので図書館や電子ブックで無料で読むことが出来る。

※『こゝろ』(こころ)とは夏目漱石の代表作の一つ。1914年(大正3年)4月20日〜8月11日まで、『朝日新聞』で「心 先生の遺書」として連載され、同年9月に岩波書店より漱石自身の装丁で刊行。売上総数が2014年時点で705万500部。日本の文学誌1位の売上。(Wikipediaの情報を編集)

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2017/02/10
藝文對談ともえ:第四十一回:こころ/前編 を公開
2017/2/10fr:マッサンが本をテーマに取り上げようと提案。同じ本を読み感想を言い合うことに。「青空文庫」に登録されている題材から、夏目漱石の「こころ」をピックアップ。本作は2014年で100周年を迎えた。奇しくも漱石の宣言した通り100年後も語り継がれる作品となり世界的に愛好されている。その読後感想会の前編。センセイは「二人でやって」と離席し、久しぶりの対談。トッチャンが最初の印象を、文体は読みやすいけど本としては読みづらく、搭乗人物が”変な人達ばかり”だ思ったと語る。対してマッサンは自己の置かれた環境も相まって深く感銘を受けたと言い、熱をもって語りだす。

※「青空文庫」は著作権の切れた本を無料で貸し出せるようにしもので図書館や電子ブックで無料で読むことが出来る。

※『こゝろ』(こころ)とは夏目漱石の代表作の一つ。1914年(大正3年)4月20日〜8月11日まで、『朝日新聞』で「心 先生の遺書」として連載され、同年9月に岩波書店より漱石自身の装丁で刊行。売上総数が2014年時点で705万500部。日本の文学誌1位の売上。(Wikipediaの情報を編集)

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