トピックス-topics-

2017/07/20
藝文對談ともえ:第五十七回:詩と思想感情 を公開
話者:センセイ、マッサン

マッサンが井上ひさし氏の言葉を先生に尋ねることから始まる。センセイは「血肉になっているか」という視点でその文言を紐解く。そこから書をやるに当たって尋ねられる問で応える。文筆であれ詩であれ、血肉になった部分で書くのと頭で書くのでは違うと言う。手につかなければ身にもつかない。マッサンは誰しも詩情を会得することが出来るのだろうか?と問い、センセイは感動すればいいんだと。どんな些細なことでも他人からくだらなく思えようと感動の要因を育めば自ずと湧き出るものがあると。マッサンは才能の高に触れ、センセイは自分がどれだけ遊んできたか、遊ばせてもらってきたかで差は出るが、机上の学問じゃなくこの肉体を通した否かだろうと述べる。マッサンはラジオから聞こえてきた日本人奏者のジャズの話を上げ更に話は続く。

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2017/07/14
yataiki.netのSSL接続対応
yataiki.net を主たるサーバーにするサイト(サブドメインを含む)を全てSSL接続対応にいたしました。これまでの http:// を暗号化接続を意味する https:// に変えるだけで、これまで通りの内容でSSL接続が可能とります。例えば、

通常接続 http://○○○.yataiki.net
SSL接続 https://○○○.yataiki.net

とすることで端末とサーバーのデータ通信が暗号化された接続が可能になります。これまではログインをする必要があるサイト、主にショッピングサイト、他には会員制サイトで多く利用されてきた機能ですが、昨年よりGoogleのブラウザ、Chrome等は一般のサイトでもSSL接続を推奨しており、より安全にインターネットを利用する場合に有効とされています。

公衆無線LANやフリーWi-Fi、ローカルエリアネットワーク上にある端末等からインターネットに接続する際に特に有効と思われます。必要に応じてご利用下さい。

暗号化接続でも特に接続速度が遅くなることはありませんが、SSLに対応していないサービスや、SSLページと通常ページが混在する場合、SSLページのみが表示され、通常ページは表示されません。ご留意下さい。
2017/07/10
藝文對談ともえ:第五十六回:展示側と観者 を公開
話者:センセイ、マッサン

昨年ポルトガルであった観者が自撮りをしようとしてミカエル象を倒してしまった件に触れる。マッサンは人間がすっかり変わって来ていると感じると話す。日本においてはほとんどの美術館や博物館では撮影やスケッチ、メモが禁止されている。自らの体験としてメモをとっていたら注意をされた件を上げ、日本における観者と展示側のあり方を上げる。西洋では多くの作物が直に見られるメリットは大きい。ただし日本の厳重な展示方法は作物の保全にはいい。一方で観者も平気で注意書きを無視したり我欲で行動する人が増えてきた気がすると語る。そうした話しから作品との距離感へと及ぶ。

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2017/06/30
藝文對談ともえ:第五十五回:篆刻とその周辺 を公開

話者:センセイ、マッサン

引き続き出先で篆刻の話。センセイが主宰し、マッサンも所属する泰永会での書展。泰永書展で来場者の書家から言われた感想をマッサンが言う。篆刻が書に合っていて素晴らしいというもの。そこで、書と遊離する篆刻と書作品に問題は潜在的に多くの書家が抱えていると知る。「印は教養がでる」とセンセイ。勉強しました、頑張って掘りましたという印はそれだけのものである。書にせよ、篆刻にせよ、茶碗にせよ、余裕の中で営んで仕上げたものでこそ鑑賞出来るものであって、必死にやって頑張りましたというものを見せられては百年の恋も覚めると。書はそもそも文があって字があるのであって、余力の部分でやってこそと語る。そこから箱書きの話に移り、作品と篆刻に纏わる関係性の話に展開していく。

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2017/06/20
鳳煌会のサイトを新設
松里鳳煌が主宰する書道会。鳳煌書道会(書道・鳳煌会)のサイトを新設しました。

今後、散らばっているサイトを整理・統合していき、新しい記事はこのサイトにて行っていく予定。
現在中心となっているBloggerの鳳煌会はサイト不具合時の避難場所として残していく。

http://hoko-kai.yataiki.net
2017/06/20
藝文對談ともえ:第五十四回:篆刻と脈絡 を公開
話者:センセイ、マッサン

出先での収録。書作品にとって篆刻というのは作品と一体化している。にも関わらず、篆刻家が篆刻を作るという分業化がなされている点についてマッサンが話を始める。篆刻家の篆刻を見て、作品単体として見ると素晴らしいものだが、自作に押すことを想起するとどうしても作品と遊離してしまうと感想を投げる。絵画におけるサインは自分でなされる。ところが、サインの一つに相当する篆刻は篆刻家から購入し押印することになる。篆刻を十代の頃より自作していたセンセイに、自作と篆刻の関係について話を聞く。

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2017/06/10
藝文對談ともえ:第五十三回:不気味の谷 を公開
話者:センセイ、マッサン

カルフォルニア大学で”不気味の谷”の存在が確認されたというニュースを話すマッサン。昨今のCG技術の発達。そこへ来てAIの急速な進歩。”不気味の谷”というのは人間に必要な防衛本能という視点から、その本能を超える。マッサンはそのようなリアルな作物とどう向き合えばいいか投げかける。センセイは谷を超えることそのものは、人の防衛本能を越え快感性を与えるということだから、それそのものはむしろプラスであり、不気味の谷に落ち込んでいる状態の方が人間にとっては良くないだろうと応える。マッサンはこうした技術が社会に浸透しても人間の仕事そのものは増えることはあっても減ることは無いにせよ、人間ならではの活躍してきた場所が減ることを危惧していると語る。それに対して、センセイは書家としての目線で書作品に例え、その解決策を発想していく。

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2017/05/30
藝文對談ともえ:第五十二回:書作品とその周辺 を公開
話者:センセイ、マッサン

出先の会場で収録。マッサンがLEDの登場により目が非常に疲れ安くなったと話し出す。そこからLEDに限らずCGを使った映画や看板広告等がすべからく共通点として「自己主張が激しすぎる」と。目の肉体機能から考えて眼精疲労が累積的かつ加速度的に増大している社会を語る。そこから書作品の鑑賞方法へと話しが移る。持論である「部分は全体を越えられない」が関わってくる。作品は全体感で決まるという。全体を見て、細部を見るもの。全体が崩れていれば細部がどれほど緻密でも覆られない。大作の場合、全てが克明に描かれた作品は鑑賞者側に圧が強すぎて全体感を損なうことを考慮にいれる必要がある。量感が強いのであれば細部は寧ろ疎にして全体感を伝わるようにする等の表現技法の話しに。そこから書作品と作品表現の話しに深まっていく。

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2017/05/20
藝文對談ともえ:第五十一回:書 を公開
話者:センセイ、マッサン

2017/5/20sa:書き始める動機は単に「似せて楽しい」といった部分から始まるもので構わない。現代人は「読める読めない」「意味がわかるわからない」で手が止まることを指摘し、その本末転倒さを言う。漢字が読めなくて気になる人は自分で漢和辞典を調べ、自得すればいい。やっているうちに人はどうあれ次第に気になるもの。その時点でやればいいと。本来は行為が先にあり「この差はなんだろう」と疑問に移り変わるのに、今は行為の前に知識を入れようとする。センセイは「小さな疑問の積み重ねで教養というのは出来るのに、今の教育は一纏めにして教え込んでしまうから逆に小さな変化への気付きや疑問は失われ、それはつまり教養がない人間を排出する」と指摘。マッサンは現代は何でも類型化しており豊かさが無くなったと応える。小さな疑問の積み重ねは教えられるものではなく、自ら体験し、感じてこそ湧き上がるものであるとセンセイは述べ、更に書の話しが続く。

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2017/05/10
藝文對談ともえ:第五十回:世にも不思議な話 を公開
話者:センセイ、マッサン、トッチャン

2017/5/10we:妖怪と現実との虚ろな関係を話しているうちに、センセイが「そっちのことなら幾らでも言えることがある」と実際に体感した奇妙な経験を語り出す。そこは仕事で訪れた古いマンション。恐らく戦後すぐ建てられたような佇まい。今とは異なる構造。マンションの中央に入る引き戸がある。センセイの体験から、現代は科学偏重主義になり過ぎて未科学(科学でまだ解明されていない部分)の存在を無いかのように疎かにしている問題点を指摘。(センセイは最終的には科学で全て解明されるのだろうが今はその兆しすら見えない科学レベルと捉える)マッサンは妖怪とはまさに日本における理解不能な事象や、受け入れがたい現実を「妖怪」に置き換えることで「先へ進む」手助けにしたのだろうと締めくくる。

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2017/04/30
藝文對談ともえ:第四十九回:妖怪と日本人 を公開
話者:センセイ、マッサン、トッチャン

2017/4/30su:一連の妖怪作品の話を踏まえ、マッサンが昨年八月に開催された「大妖怪展」の感想を語っている。本展では妖怪が出て来る美術作品が全国から集められ一堂に会したもの。江戸東京博物館で開催された。過去から現代まで時系列に並べられた作品を見て、次第に確固たる存在となっていく妖怪という存在に、一つの型が生み出される創造の過程が見れたと語る。そこから嘗ては妖怪が日本の文化に強く根を下ろし、小さな地域社会の安寧や隠れたる人心の後ろ支えになっていたのではないかと持論を述べる。更に宗教における異形の存在、化物へと話が膨らみ、日本人の精神性を垣間見る話になっていく。

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2017/04/20
藝文對談ともえ:第四十八回:創作の格闘 を公開
話者:センセイ、マッサン、トッチャン お客様:本名カズト(ミュージシャン)

2017/4/20th:引き続き本名さんとの話は続く。デジタルと創作活動について話題が出る。「デジタル仕事による創作活動には格闘の後が見えない」という本名さん。デジタルは道具として見た場合にとても便利である。しかし格闘の後が消えていく点でデジタルは便利さ以外の点で何か大切なものを失っているのではなかろうかと。デジタル要因が不要と言いたいわけではなく、アナログとデジタル双方をわかっている作家はデジタルで失われる部分を把握した上でバランスをとれるが、そもそもデジタル作業しか知らない作家は、その裏側の落とし穴に気づかないのではないかと投げかける。作品への取り組みにはいかに格闘するかが肝。センセイは書家ならいかに座って書いているかであり立ってちゃしょうがないと言う。そこから構えの部分で現代の創作活動にそれぞれの思いを吐露していく。

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2017/04/10
藝文對談ともえ:第四十七回:音楽体験の変化 を公開
話者:センセイ、マッサン、トッチャン お客様:本名カズト(ミュージシャン)

2017/4/10ma:ミュージシャンの本名カズトさんをほぼ一年ぶりにお出迎え。最初に得た感動の要因を人は忘れがちで、活動を続けていると得てして技術、技巧に囚われていき「感動要因」が蔑ろにされるという話から始まる。その結果として鑑賞者側は「面白くない=感動がない」と感じる。真に長けた人は、初期衝動が色褪せること無く同時に技術も身につけていくと。マッサンは書においても同じであると受ける。センセイの話を引用し、長けることは結果身につくもので、必要ではあるが、何よりも感動が無ければ表現する意味を失う。本名さんは、「それでも気づいている人はいい、そもそも気づいていない人が増えている」と懸念を表し、その理由は音楽に関して言えば浴びるように聞いた人が減っているからではと持論を述べる。そこから音楽体験の変化が見えてきた。

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2017/04/6
翠甫.net を運用開始
翠甫氏のホームページを設置、運用開始しました。
よろしくお願いいたします。
作品の紹介と活動を今後掲載してまいります。

翠甫.net
http://suiho.yataiki.net/
2017/03/30
藝文對談ともえ:第四十六回:音楽活動 を公開
2017/3/30th:知人の活動を拝聴する中でしみじみと音楽活動の大変さを感じたことからマッサンが口を開く。書は紙と墨、筆があればいつでも一人で出来る。しかも選び取った仕上がりを、それぞれの感覚で見てもらうだけで済む。それに対し、音楽は練習する場から考えなければならない。昔はあちこちでピアノを練習する音が聞こえていたが、昨今は騒音問題から自宅で練習することも儘ならない。その上でソロならともかくバンドなら音を合わせる練習も別にいる。ましてやオーケストラならその機会を得ることそのものが一苦労。演奏するとなると場所がいる上に本番が1度きり。挙句に観客の前で、その場限りの音楽表現。音楽は時間経過を含めた表現である為、聴取側も固定された時間が等しく必要になり、会場も聴者も色々。こうした音楽に関する活動の背景を思い、実際に作曲したこともあるセンセイに投げかけていく。

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2017/03/20
藝文對談ともえ:第四十五回:視点の相違 を公開
2017/3/20ma:「妖怪百物語」で「脇役の凄み」から話が盛り上がる。センセイは嘗て「好きの一心」で食える食えないを考えずに役者を目指した人がいた。だからこそ深みのある役者がいて脇役が厚く固めていたことを語る。マッサンは”水木しげる”の自伝から、昔は漫画が好きな同士が一杯いてワイワイやっていたけど、いつの間にか自分一人だけになっていた。あれは好きというパワーが弱かったんだろうと言ったことを思い出す。センセイはソレに対し「それも自然淘汰だから」と応える。昨今の「個性」の捉え方についてセンセイが言う。トッチャンはそれに対しマルクス主義にしても観念的理想理論から立ち上げたものの成功したと言える例を見ないと受ける。遺伝子の妙技の話になり、勘違いが必ずしも悪いことになるわけではない話へ移っていく。

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2017/03/10
藝文對談ともえ:第四十四回:妖怪百物語 を公開
2017/3/10fr:「妖怪大戦争」の収録以来、何かと話題に上がった「妖怪百物語」をやろうと今回の運びに。センセイは赤羽にあった大映の映画館で祖父母と共に当時観に行ったことを思い出しながら、トッチャンは知らない中で、マッサンは当時テレビで見て、今回三十年以上ぶりに観た上での鼎談となる。マッサンは物語の主題となった「百物語」を落語家の林家正蔵が語るシーンが子供心に映画の中で最も迫力があったことを思い出し、同時に大人になっても変わらない印象と語る。センセイは「名人芸だから」と応え、嘗ては脇が凄かったと言う。マッサンはこの映画の面白みとして、表側の真面目な時代劇に対して、あくまでふざけている妖怪達という対比にあると視点を持ち出す。

※妖怪百物語:1968年3月20日に公開。大映京都撮影所製作の時代劇・特撮映画。併映『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』。カラー、大映スコープ、79分。大映京都の妖怪映画3部作の一作目。1968年1月にゲゲゲの鬼太郎(白黒版)が放送開始され子供達の間で妖怪ブームがおき、結果的にその追い風も受け好評をえる。本作に取り上げられた「百物語」は、江戸時代の落語家である初代林家正蔵が盛んにしたもので、江戸の人々が行っていた怪談話の会をさす。劇中で初代林家正蔵の役を八代目林家正蔵(のちの林家彦六)が演じる。監督: 安田公義。(Wikipediaの情報を編集)

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2017/03/10
Jfonts協議会のホームページを閉鎖
TrueType協議会 を前身とするフォントの業界団体の一つ、二十年以上の歴史をもつ Jfonts協議会 のホームページを閉鎖するとの連絡を事務局担当会社より受ける。(現時点で閉鎖済)

Jfonts協議会 www.jfonts.or.jp

色々なことが思い出された。時の移ろいを感じる。
2017/02/28
藝文對談ともえ:放送:第四十三回:氏素性 を公開
2017/2/28tu:2回に渡ってトッチャンと対談した夏目漱石の「こころ」の感想をセンセイに伝えることから始まる。自らに無かった視点として「こころ」は個人主義を描いていると聞いていたく納得したと。センセイは「二人のとって個人主義とはどういう意味合いか?」と問う。二人はそれぞれの考えを言い、それに対してセンセイは「一見すると個人主義というのは個を尊重しているかのような感じがするけど・・・」と話しだす。自らの家系のことを例に考えを述べ、「果たして外国風の個人主義が日本の風土に合うのだろうか?」と再び二人に投げかける。マッサンはそれに対し、「自由とはなんだろうか」という角度でもって答え、センセイは自らの経験や考えを述べていく。

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2017/02/20
藝文對談ともえ:第四十二回:こころ/後編 を公開
マッサンとトッチャンによる、夏目漱石「こころ」の読後感想会後編。マッサンは人の こころ って本当に難しく最終的に人と人はわかり得ないのでは?と語ることから始まる。そして自分は作中の先生の心境がよくわかると言う。自己の過去を語リ、そこから自分なりの視点を詳らかにする。トッチャンは作中の先生が理解出来ないと投げかける。マッサンの話を聞き、夏目漱石の「こころ」が教科書に掲載されている理由がわかったと応える。ある解説から、恐らく「現代の個人主義」を学ぶために掲載されているのだと伝える。一方でトッチャンは読んでいて暗くなったから教科書への掲載はいかがなものかと私見を述べる。マッサンは自身のセンセイから言われた話を引用し自己の体験を踏まえ自分なりに紐解いていく。

※「青空文庫」は著作権の切れた本を無料で貸し出せるようにしもので図書館や電子ブックで無料で読むことが出来る。

※『こゝろ』(こころ)とは夏目漱石の代表作の一つ。1914年(大正3年)4月20日〜8月11日まで、『朝日新聞』で「心 先生の遺書」として連載され、同年9月に岩波書店より漱石自身の装丁で刊行。売上総数が2014年時点で705万500部。日本の文学誌1位の売上。(Wikipediaの情報を編集)

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2017/02/10
藝文對談ともえ:第四十一回:こころ/前編 を公開
2017/2/10fr:マッサンが本をテーマに取り上げようと提案。同じ本を読み感想を言い合うことに。「青空文庫」に登録されている題材から、夏目漱石の「こころ」をピックアップ。本作は2014年で100周年を迎えた。奇しくも漱石の宣言した通り100年後も語り継がれる作品となり世界的に愛好されている。その読後感想会の前編。センセイは「二人でやって」と離席し、久しぶりの対談。トッチャンが最初の印象を、文体は読みやすいけど本としては読みづらく、搭乗人物が”変な人達ばかり”だ思ったと語る。対してマッサンは自己の置かれた環境も相まって深く感銘を受けたと言い、熱をもって語りだす。

※「青空文庫」は著作権の切れた本を無料で貸し出せるようにしもので図書館や電子ブックで無料で読むことが出来る。

※『こゝろ』(こころ)とは夏目漱石の代表作の一つ。1914年(大正3年)4月20日〜8月11日まで、『朝日新聞』で「心 先生の遺書」として連載され、同年9月に岩波書店より漱石自身の装丁で刊行。売上総数が2014年時点で705万500部。日本の文学誌1位の売上。(Wikipediaの情報を編集)

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2017/01/30
藝文對談ともえ:第四十回:無法地帯 を公開
2017/1/30ma:トッチャンがトマス・ホッブズのリヴァイアサンの引用をすることから始まる。マッサンはそれを受け、どこからどこまでが洗脳で洗脳じゃないかの線引は非常に難しく大なり小なり洗脳はそここでなされていると私見を言う。センセイは日本が戦後様々な権力者の意図によって洗脳されたと言い、自己の例を出す。

曰くセンセイは、洗脳とは私利私欲の視点でもってアンバランスなものを刷り込むことだと持論を述べる。そして洗脳を解く唯一の方法は芸術にあると。また、自らの偏りを相手に押し込める洗脳と、伝統の型を刷り込むこととは違うと述べ、伝統の型は時間の経過や人々の自然な精査によって淘汰され残り得たものであり、偏りが限りなく排除されたものであり、洗脳と普遍の踏襲をごちゃ混ぜにしている人が多いと嘆く。芸術家であるならば洗脳されないで生きるのが基本であると言う。

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2017/01/20
藝文對談ともえ:第三十九回:蛇娘と白髪魔 を公開
2017/1/20fr:センセイとマッサンの間で長いこと話題に登っていた映画。ただし二人は「蛇女」と記憶していた。互いに内容は覚えていないものの印象的と語り合う。「妖怪大戦争」の収録をした折に映画のタイトルが偶然にも判明。センセイは初めてこの映画を見た際、蛇娘が顔のパックを剥ぐのを見て女性はパックをするのだと刷り込まれたよう。マッサンは蛇娘がひどく可哀想だったと印象を語る。トッチャンは今回初めて見て、二人から聞いた印象と大きなギャップがあると言う。曰くセンセイは「子供と大人の視点の差だろう」と述べる。話題は 妖怪大戦争 も絡みだし、子供の頃に見た印象と大人になって見た印象ではまるっきり違うという話に移り変わり、子役で可愛いと成長してガッカリすることが多いという話題になる。いい意味でも常ではない中で、時の経過や練磨の継続により深蒸した味わいが生まれた後に語り継がれるものになると言う。

『蛇娘と白髪魔』:楳図かずお原作、大映製作の怪奇映画。1968年12月14日に劇場公開。上映時間82分、モノクロ、大映スコープ。同時上映「妖怪大戦争」。初公開: 1968年12月14日 監督: 湯浅 憲明 出演者: 三宅 邦子

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2017/01/10
藝文對談ともえ:第三十八回:駄菓子 を公開
2017/1/10tu:新年はじめの”ともえ”は軽く駄菓子の話。世代により思い出す駄菓子は異なるものの、長く愛される商品も少なくないよう。子供の頃に戻って笑い合う。あんこ玉、瓶のラムネ、パラピン紙で包装された固形ラムネ、ライスチョコレート、マンナ、ブタメン、カバヤのジューシー、ペッツ、よっちゃんイカ、水にとく粉末ジュース、ボンタンアメ、中野の昆布(都こんぶ)。次から次へと飛び出す。その中でセンセイしか知らない駄菓子も飛び出す。センセイの頃は ニッキの木 が駄菓子として5円で売られており舐めると甘かったこと、貝殻の外形で舐めると甘い駄菓子もあったと二人を驚かせる。

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2016/12/30
藝文對談ともえ:第三十七回:作家活動の背景 を公開
22016/12/30fr:初代ゴジラの話題が続く。センセイはゴジラの造形の見事さについて話し出し、特に キングコング対ゴジラ の造形が最も素晴らしいと賛辞。初代のゴジラは必ず夜に襲来することに触れ、戦時中の空襲を想起させると話すと、マッサンは実際にそこは狙いだったようだと言葉を継ぐ。面白さの1つとしてゴジラは実はそんなに出ていない点に触れる。物語は人間ドラマ中心に展開されており大人になるとそこが面白いと、子供との視点の違いを語る。センセイはゴジラの成功は伊福部昭の音楽があってのことと伊福部音楽について持論を展開する。そして背景を踏まえた作物と、目的に応じて即物的に作り上げられたモノとの厚みの差について述べる。

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2016/12/20
藝文對談ともえ:第三十六回:初代ゴジラ、映画と演出 を公開
2016/12/20tu:前回シン・ゴジラの話題を語らい初代のゴジラを振り返ろうと三人。(トッチャンは未見だったことから初めて見てからの参加)出だしはゴジラが生まれた時代的背景や、ゴジラを制作する際に他作品から受けた影響について話される。そこからセンセイの知る舞台裏としてのゴジラが語られる。マッサンは子供の頃に見た時と大人になり改めて見た時で全然印象が違うと言う。それを受け、事実センセイがこの映画の影響で水槽に対し怖いイメージがついたと思いでを語る。座は盛り上がり当時の映画制作に関わる様々な背景が語られ、分業化する現代との違いが浮き彫りになっていく。

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2016/12/10
藝文對談ともえ:第三十五回:シン・ゴジラ を公開
2016/12/10sa:完全なネタバレ。今年の7月、2016年東宝の新作映画「シン・ゴジラ」を皆で行くことに。(センセイ、マッサン、浩義氏の3人は恒例行事)その感想回。”ともえ”の三人、センセイ、マッサン、トッチャンに加え、共に映画を観に行ったカメラマンの浩義氏、センセイの弟子である翠甫氏も同席。二人には収録にも立ち会っていただいた。冒頭でセンセイが「今までのゴジラとは雰囲気が違って良かった」との発言を受け、マッサンはゴジラの動きが気になったという。曰く、十中八九CGだろうにスーツアクターがいるかのような存在感。でも普通とは違う不気味さを感じたと。その理由が、たまたま見たメイキング映像でわかったと口を開く。そこから俳優の演技の話に移り変わり、物語の全体構造、モノ作りへの姿勢へとおよんでいく。

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2016/11/30
藝文對談ともえ:第三十四回:老子の話 を公開
2016/11/30we:日頃から読書は嫌いというセンセイ。ところが本は溢れている。その点についてマッサンがセンセイと話している。センセイにとって読書は娯楽ではなく『活動』をする上で『思索の糧』として、『表現背景の厚み』を醸成するためのものであり、仕事としての必要性から読むものと捉えていることを知る。娯楽なら他の娯楽を選ぶとセンセイ。読んだ本の話におよぶと「老子道徳経」を上げる。読んでどう感じたか、視点を置いたか、マッサンは尋ね、センセイは道徳経から何を学び、それを活動の視点として捉え、歩んでいるか話におよぶ。

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2016/11/20
藝文對談ともえ:第三十三回:プロとしての構え を公開
2016/11/20su:映画「大魔神」の話をしているマッサンとセンセイ。リアルタイムで見たというセンセイ。大魔神に見られる「審判」と「啓示」についてマッサン。3人ともこれといった信仰はないと述べるも「何か」はいるのだろうと。マッサンが数学者の話を出し、「いよいよ突き詰めるていくと科学で解明できない『何か』の存在を感じぜずにはおられない」と聞いたことを伝える。モハメド・アリやセンセイの言葉を借り「人の法則ではなく天の法則にのっとる」という考えを付け加える。「不可能はない」という言葉は、そもそも「可能たらしめる心の構え」であると私見を述べ、そこから「プロとしての構え」に発展。どの分野であってもプロとして譲ってはいけい領域があるという話になっていく。

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2016/11/10
藝文對談ともえ:第三十二回:藝文東京ビエンナーレ を公開
2016/11/10th:近々開催を予定している「藝文東京ビエンナーレ」について話しましょうとマッサン。(三人は会員でもあり同時に出品者) 藝文会について一会員としての感想をマッサンとトッチャンが語り合う。トッチャンは昨年発行された会誌から自由な気風が感じられると述べ、マッサンはテーゼの特異性を言う。センセイに会の方向性について尋ね、話は昨今の組織のあり方や個人の動きについて広がっていき、組織はどうあるのが望まれるか、対して個人はどう構えればいいか、話が展開される。

藝文東京ビエンナーレ

■会場:東京芸術劇場 アトリエイースト(B1F)
    〒171-0021 東京都豊島区西池袋1-8-1
    JR・東京メトロ・東武東上線・西武池袋線 池袋駅西口より徒歩2分。駅地下通路2b出口と直結しています。
■開催日:2016.11/20(日)〜11/23(水・祝)の4日間
■時間:11月20日(日)初日のみ 12:00〜16:00
    11月21日(月)〜23(水・祝) 10:00〜16:00
■主催:藝文会 http://geimon.jimdo.com/
■料金:無料

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